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最高裁判所第一小法廷 昭和63年(あ)1064号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件各控訴を棄却する。

理由

第一  上告趣意に対する判断

弁護人佐伯千仭、同衛藤善人、同米田泰邦の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余の点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

第二  職権による判断

所論にかんがみ、職権により検討すると、本件火災事故につき被告人三名に過失があるとして業務上過失致死傷罪の成立を認めた原判決は、以下の理由により破棄を免れない。

一  本件事件の概要

本件事件の概要は、原判決の認定によると、次のとおりである。

(1)  株式会社大洋(以下「大洋」という。)が経営していた大洋デパート本店店舗本館(以下「店舗本館」という。)は、鉄筋コンクリート造り、地下一階、地上七階、一部九階、塔屋四階の建物(床面積は合計一万九〇七四平方メートル)であり、本件火災当時、店舗本館北側に他の会社との共同ビルを建設するための増築工事と店舗本館の改築工事が行われていた。(2) 大洋においては、消防法令により、防火管理者を定めて店舗本館について消防計画を作成し、これに基づく消火、通報及び避難の訓練を実施し、その他防火管理上必要な業務を行うことを義務付けられ、右の各訓練は定期的に行い、避難訓練については年二回実施することが求められていたが、熊本市消防局から再三にわたり指摘を受けていたにもかかわらず、消防計画は作成されておらず、従業員に対する消火、通報及び避難の訓練が実施されたこともなかった。また、警報設備、避難設備等の消防用設備については、前記増改築工事に伴って店舗本館北側の非常階段が撤去されたが、これに代わる避難階段は設置されておらず、消防法令により設置が義務付けられていた非常警報設備、避難器具等も設置されていなかった。(3) 以上の状況の下で、昭和四八年一一月二九日午後一時一〇分ころ以後に、営業中の店舗本館南西隅にあるC号階段の二階から三階への上がり口付近において原因不明の火災が発生し、火災はC号階段に切れ目なく積み重ねてあった寝具などの入ったダンボール箱を次々と焼いて三階店内に侵入し、更に三階から八階までの各階に燃え広がってそれらの階をほぼ全焼し、午後九時一九分ころ鎮火した。(4)本件火災に際して、在館者に対し、従業員らによる火災の通報が全くされず、避難誘導もほとんど行われなかったため、多数の者が逃げ場を失い、あるいは店舗本館からの無理な脱出を余儀なくされるなどし、その結果、一酸化炭素中毒、避難中の転倒、窓から脱出した際の転落等により、従業員、客及び工事関係者一〇四名が死亡し、六七名が傷害を負った。(5) 本件当時、被告人甲は、大洋の取締役人事部長であり、被告人乙は、店舗本館三階の売場課長(同社営業部第三課長)であり、被告人丙は、同社営繕部営繕課の課員であって、同被告人を店舗本館の防火管理者とする大洋の代表取締役社長丁(本件につき被告人らと共に業務上過失致死傷罪で起訴されたが、第一審の公判審理前に死亡した。以下「丁社長」という。)名義の選任届が昭和四七年一二月一五日付けで熊本市消防長あてに提出されていた。

二  被告人甲の過失の有無

1  公訴事実は、丁社長は、防火対象物である店舗本館の消防法(昭和四九年法律第六四号による改正前のもの。以下同じ。)八条一項に定める管理について権原を有する者(以下「管理権原者」という。)であり、同法一七条一項に定める関係者であるところ、被告人甲は、大洋の取締役人事部長として、同社の従業員らの安全及び教育に関する事務を所管していた人事部を統括し、かつ、丁社長を補佐して、店舗本館の同法八条一項に定める防火管理者である被告人丙を指揮監督し、若しくは自ら店舗本館について消防計画を作成し、同計画に基づく消火、通報及び避難の訓練を実施すべき注意義務があるのに、これを怠った過失がある、としている。

2  第一審判決は、消防計画を作成し、これに基づく消火等の訓練を実施する責務は防火管理者にあり、企業組織における取締役が人事部長であるというだけで直ちに右の責務が生じるものではないところ、被告人甲は、管理権原者であった丁社長から形式的にも実質的にも防火管理者に選任されたことはなく、同社長から店舗本館の維持、管理について委任を受けたこともなく、さらに、大洋の人事部の所管業務の中に防火管理に関する業務は含まれておらず、実質的に防火管理業務に従事していたとも認められないとし、結局、同被告人は公訴事実にいうような注意義務を負う立場になかった旨を判示し、同被告人に過失はないとした。

3  これに対し、原判決は、店舗本館の管理権原者である丁社長が前記一の(2)のとおり防火管理を怠り、店舗本館を危険な状態に放置していたところ、被告人甲は、丁社長から店舗本館の管理権原について委任を受けていたとは認められないが、大洋の取締役会の構成員の一員として、同社が従業員、客及び工事関係者に対して負う安全配慮義務あるいは安全確保義務としての消防計画の作成、同計画に基づく従業員に対する消火、通報及び避難誘導の訓練の実施等に関与すべき立場にあり、実際にも社内の防火管理につき関心をもって被告人丙に助言や指導をしていたものであるから、取締役会において積極的に問題点を指摘して決議を促し、あるいは丁社長に直接意見を具申して同社長の統括的な義務履行を促すことにより、消防計画の作成等をすべき注意義務があるのに、これを怠った過失により本件死傷の結果を招来した旨を判示し、業務上過失致死傷罪が成立するとした。

4 そこで検討するのに、原判決が被告人甲に大洋の取締役会の構成員の一員として取締役会の決議を促して消防計画の作成等をすべき注意義務があるとしたのは、是認することができない。

多数人を収容する建物の火災を防止し、右の火災による被害を軽減するための防火管理上の注意義務は、消防法八条一項がこれを消防計画作成等の義務として具体的に定めているが、本来は同項に定める防火対象物を使用して活動する事業主が負う一般的な注意義務であると考えられる。そして、右の事業主が株式会社である場合に右義務を負うのは、一般には会社の業務執行権限を有する代表取締役であり、取締役会ではない。すなわち、株式会社にあっては、通常は、代表取締役が会社のため自らの注意義務の履行として防火管理業務の執行に当たっているものとみるべきであり、取締役会が防火管理上の注意義務の主体として代表取締役に右義務を履行させているものとみるべきではない。原判決は、被告人甲について取締役会の構成員の一員として消防計画の作成等に関与すべき立場にあった旨を判示するが、それが一般に取締役会が防火管理上の注意義務の主体であるとの見解の下に取締役である同被告人に右義務があることを判示した趣旨であるとすれば、失当といわざるを得ない。

もっとも、取締役は、商法上、会社に対し、代表取締役の業務遂行一般について監視し、必要があれば取締役会を通じて業務執行が適正に行われるようにする職責を有しており、会社の建物の防火管理も、右監視の対象となる業務執行に含まれるものである。

しかしながら、前記のとおり、一般に会社の建物について防火管理上の注意義務を負うのは取締役会ではなく、代表取締役であり、代表取締役が自らの注意義務の履行として防火管理業務の執行に当たっているものであることにかんがみると、たとえ取締役が代表取締役の右業務の執行につき取締役会において問題点を指摘し、必要な措置を採るべく決議を促さなかったとしても、そのことから直ちに右取締役が防火管理上の注意義務を怠ったものということはできない。取締役としては、取締役会において代表取締役を選任し、これに適正な防火管理業務を執行することができる権限を与えた以上は、代表取締役に右業務の遂行を期待することができないなどの特別の事情のない限り、代表取締役の不適正な業務執行から生じた死傷の結果について過失責任を問われることはないものというべきである。

これを本件についてみると、原判決の認定によれば、本件当時の大洋の取締役は、丁ら合計一三名であり、そのうち代表取締役社長が丁、常務取締役が、戊(本件につき被告人らと共に業務上過失致死傷罪で起訴されたが、第一審の公判審理中に死亡した。)ら五名、取締役が被告人甲ら七名であったところ、大洋においては、代表取締役の丁が、同社の株式のほとんどを所有するいわゆるオーナー社長として、取締役の選任や従業員の人事配置について絶大な権限を有していた上、同社の経営管理業務の一切を統括掌理し、絶えず各取締役あるいは従業員に対し直接指揮、命令をするなどして同社の業務執行に当たっていたというのであり、店舗本館の防火管理についても、取締役会が特に決定権を留保していたなどの事実はなく、丁社長が包括的な権限を有し、これを履行する義務を負っていたものと認められる。他方、原判決の認定及び記録によって、丁社長において適正な防火管理業務を遂行する能力に欠けていたとか、長期不在等のため右業務を遂行することができない状況にあったというような事情は認められず、実際にも、丁社長は、ほぼ毎日店舗本館内を巡視し、たばこの吸い殻を拾うなどして防火に注意し、あるいは本件当時施工中であった店舗本館の増改築に際しては、十分な防火防災設備の設置を予定していたという事情がある。

その他本件当時の大洋の業務執行体制の実情、店舗本館の状態、被告人甲ら他の取締役が置かれていた立場など記録上明らかな本件の具体的な事情を総合しても、本件当時店舗本館の防火管理体制が不備のまま放置されていたのは、丁社長の代表取締役としての判断によるものであって、その責任は同社長にあるものとみるべきであり、本件において大洋の取締役会の構成員に過失責任を認めることを相当とする特別の事情があるとは認められない。

したがって、原判決が被告人甲に大洋の取締役会の構成員の一員として取締役会の決議を促して消防計画の作成等をすべき注意義務があるとしたのは、誤りといわざるを得ない。

5 さらに、原判決が被告人甲に丁社長の防火管理上の注意義務の履行を促すよう同社長に直接意見を具申すべき注意義務があるとしたのも、首肯し得ない。

すなわち、被告人甲は丁社長から防火管理者に選任されたことも、店舗本館の維持、管理について委任を受けたこともなく、また、人事部の所管業務の中に防火管理に関する業務は含まれておらず、同被告人が実質的に右業務に従事していたものでもなかったことは、第一審判決が認定するとおりであり、原判決も右認定を是認している。

そうすると、被告人甲が取締役という地位にあったこと、社内の防火管理につき関心をもって助言や指導をしていたことなど原判決が判示する事情を考慮しても、自ら防火管理上の注意義務を負っていなかった同被告人に、丁社長に対し意見を具申すべき注意義務があったとは認められない。

6  以上のとおり、被告人甲には原判決が判示するような注意義務はなかったというべきである。したがって、その余の点について判断するまでもなく、原判決が被告人甲に過失があるとして業務上過失致死傷罪の成立を認めたのは、法令の解釈適用を誤ったものというほかはない。

三  被告人乙の過失の有無

1  公訴事実は、被告人乙は、店舗本館三階の売場課長、火元責任者及び自衛消防隊責任者として、受持ち区域内の火災を予防し、消火、通報及び避難の訓練を実施し、火災発生時には部下従業員を指揮して消火、通報、避難誘導などをすべき立場にあり、平素から部下従業員に対し、消火、通報及び避難の訓練を実施し、避難階段に出火延焼の原因となる商品などを置かせないようにし、また、火災発生時には直ちに部下従業員を指揮して迅速的確な初期消火を行い、適宜防火シャッターを閉鎖するなどして延焼を防止し、全館に火災の発生を通報して客らに避難の機を逸せしめない措置を採るべき注意義務があるのに、これを怠った過失がある、としている。

2  第一審判決は、(1) 消防法令に照らして企業の売場課長であることから直ちに防火管理の責務は生じないし、被告人乙が丁社長から店舗本館三階の防火管理業務につき委任を受けていたとも認められない、(2) 被告人乙は、店舗本館三階の火元責任者であったが、火元責任者の責務は火気の取締りにあり、受持ち区域内における消火等の訓練を実施し、火災発生時に部下従業員を指揮して消火等をする責務があったとは認められないし、三階の自衛消防隊責任者として防火管理業務を委託又は命令されていたとも認められない、(3) 初期消火の点について、被告人乙が第一発見者の従業員から火災発生を知らされて三階店内に延焼するまでの間に行った一連の消火活動は、当時の具体的な状況に照らして是認し得ないものではなく、消火栓の使用について思い至らなかったこと、即時C号階段の防火シャッターを降ろさなかったことに過失があるとはいえない、(4) そのほか、被告人乙にC号階段に商品などを放置させない注意義務があったとは認められないし、他の従業員が火災発生の事実を電話交換室に連絡していることなどからみて、同被告人が火災発生を全館に通報しなかったことを過失と認めることはできない旨を判示し、同被告人に過失ないとした。

3  これに対し、原判決は、被告人乙は、店舗本館三階の売場課長及び火元責任者として、単に火気の取締りをするにとどまらず、平素から三階売場の部下従業員に対し消火、延焼防止等の訓練を実施すべき立場にあり、本件火災の発生に際しては、従業員から火災発生の知らせを受けたときに、C号階段三階の踊り場まで足を踏み入れて火災の程度を把握し、直ちにその場にいた部下従業員に対してC号階段の防火シャッターの閉鎖を命じることにより、三階店内への延焼を防止すべき注意義務があるのに、これを怠った過失により、C号階段から出火した火災を三階店内に延焼させ、三階から五階までの各階の在館者を死傷させた旨を判示し、業務上過失致死傷罪が成立するとした(六階以上の各階の在館者に関する業務上過失致死傷罪については、同被告人が右の注意義務を尽くしたとしてもそれらの者の死傷の結果を確実に回避できたとは認められない旨を判示し、犯罪の証明がないとした。)。

4  そこで検討するのに、原判決が被告人乙に過失があるとしたのは、是認することができない。

被告人乙がいかなる立場において本件の結果発生を防止する注意義務を負っていたかについてみると、同被告人は、店舗本館三階の売場課長であったが、売場課長であることから直ちに防火管理の職責を負うものとはいえない。そして、被告人乙の売場課長としての職務の中に三階の防火管理業務が含まれていなかったことは、記録上明らかである。

また、被告人乙は、店舗本館三階の火元責任者であったが、消防法令の予定する火元責任者の主な職責は、防火管理者の指導監督の下で行う火気の使用及び取扱いであり(消防法施行令(昭和四九年政令第一八八号による改正前のもの。以下同じ。)四条二項)、火元責任者であるからといって、当然に受持ち区域における消火、延焼防止等の訓練を実施する職責を負うものではなく、防火管理者からその点の業務の遂行を命じられていたなどの事情がなければ、右の職責を認めることができない。

原判決の認定によれば、大洋においては、昭和三六年一〇月三一日付けで当時の営繕課長Aが店舗本館の防火管理者に選任された後、各課長をその担当課の火元責任者に選任し、各階ごとの消防編成表を作成するなどした上、各火元責任者に対しその任務を周知させるなどした経緯があるというのである。しかし、記録によれば、各火元責任者は、Aから防火管理業務の一部につきその遂行を命じられていたことが認められるものの、その範囲は各階の消防編成、火気の取締り、消火器の点検整備などにとどまり、それ以上に各階における消火、延焼防止等の訓練を実施する業務の遂行を命じられていたものとは認められない。また、被告人乙が実際に右業務に従事していなかったことも、記録上明らかである。

したがって、原判決が、被告人乙について店舗本館三階の売場課長、火元責任者として、平素から三階売場の部下従業員に対し消火、延焼防止等の訓練を実施すべき立場にあった旨を判示したのは、失当というべきである。

5 しかし、被告人乙は、自己の勤務する店舗本館三階において本件火災の発生に直面したものであるから、応急消火、延焼防止等の措置を採るべき立場にあったというべきである(消防法二五条一項、消防法施行規則(昭和四九年自治省令第二七号による改正前のもの)四六条三号参照)。

そこで、以下、被告人乙が右の立場において注意義務を尽くしたかどうかについて検討する。

原判決の認定によれば、従業員が本件火災を発見してから火災が三階店内に延焼するまでの状況は、前記一の(3)の事実のほか、次のとおりである。

(1) 本件火災の第一発見者は、三階寝具売場従業員のBら三名であり、その時間は午後一時二〇分ころであった。(2) Bらは、三階売場でC号階段からの煙を発見し、同階段の三階踊り場に駆けつけたところ、二階から三階に通じる西南角の第三踊り場付近に炎や煙があったので、「火事」と叫ぶなどし、これを聞いた他の従業員が駆けつけて同階段の下の方を見ると、第三踊り場付近で燃えくずが飛び散るなどして燃えていた。(3) 被告人乙は、三階呉服売場でBから火災発生の知らせを受け、陳列ケース間の通路沿いに約二七メートル先のC号階段入口付近まで行って下の方を見ると、同階段に置いてあったダンボール箱一個が燃えているように見えた。(4) そこで、被告人乙は、付近にいた従業員に対し消火器を持ってくるように命じるとともに、三階店内への延焼を防ぐため、同階段室内のC号エレベーター前の防火シャッター付近に置いてあったダンボール箱を約九メートル先の場所まで動かし、さらに、C号階段の東側に隣接するD号階段前にあった座布団棚を移動させようとしたが、火災が三階店内に吹き込み、同店内西側壁に沿って陳列してあった婚礼布団に燃え移ってきたので、「シャッター」と叫んでシャッターを降ろすように指示し、従業員のEがC号階段の防火シャッターの降下ボタンを押した。(5) 右の防火シャッターは、押しボタンによる電動式、温度ヒューズ付きの開閉シャッターであり、右の温度ヒューズは、火災時に自動的にシャッターを閉鎖させるための装置で、温度が摂氏七二度ないし七五度に上昇するとヒューズが溶けてシャフトスプロケットのブレーキが外れ、スラットの自重で降下する仕組みになっていた(右シャッターは、Eが右ボタンを押したことにより降下を始めたが、シャッターケース内の三相用開閉器のヒューズが火災によって溶断し、電源が切れてモーターが停止したため途中で降下を停止した。その後間もなく温度ヒューズが溶けてシャフトスプロケットのブレーキが外れ、スラットの自重で再び降下を開始し、最終的には床面まで降りている。)。(6) 火災が右の婚礼布団に燃え移って三階店内に延焼した時間は、午後一時二二分ころであり、被告人乙がC号階段入口付近でダンボール箱が燃えているのを見てから右店内延焼までの時間は、約一分であった。

右の事実関係に基づき判断するのに、原判決が判示するとおり、被告人乙がC号階段の火災を見た時点では、既に消火器のみによる消火は困難な状態にあったと認められるから、同被告人がBから火事の知らせを受けてC号階段に駆けつけたとき、三階の踊り場手前でとどまることなく、右踊り場まで足を踏み入れて火災の程度を正確に把握した上、直ちにその場に居合わせた従業員に対しC号階段の防火シャッターの閉鎖を命じていれば、三階店内への延焼を防止することができたと認められる。したがって、事後的にみると、被告人乙が本件火災の程度を正確に把握せずにこれを消火器で消せる程度のものと考え、直ちにC号階段の防火シャッター閉鎖の措置を採らずに従業員に消火器による消火を命じ、自らダンボール箱を動かすなどしたのは、判断と行動を誤ったものということができる。

しかしながら、前記認定のとおり、被告人乙がダンボール箱が燃えているのを見てから三階店内に延焼するまでの時間は約一分しかなく、Bらが本件火災を発見してから右延焼までの時間も約二分しかなかったというのである。しかも、この間被告人乙は、従業員に消火の措置を命じ、自らも延焼防止の行動を取っていたのであり、同被告人よりも先にC号階段に駆けつけ、同階段の踊り場に入って本件火災の程度を見た従業員らも、消火器で消火しようとし、あるいは付近のダンボール箱を動かすなど同被告人と同様の行動を取っていたのである。そして、記録によると、被告人乙及び従業員らが右のような消火、延焼防止の活動をしている間に、三階C号階段室内の窓ガラスが割れて新鮮な空気が入ってきたため、防火シャッターの温度ヒューズが溶けて作動する間もなく、火災が急激な勢いで三階店内に吹き込んできたことにより、以後の応急消火、延焼防止が不可能な状態になったものと認められる。また、右の本件火災の状況に照らすと、仮に被告人乙が三階売場の従業員に対し平素から火災に備えて延焼防止の訓練を実施していたとしても、本件火災に際し三階店内に延焼する前に確実にC号階段の防火シャッター閉鎖の措置を採ることができたものとは認め難い。

このようにみると、被告人乙は、当時の状況の下においてできる限りの消火、延焼防止の努力をしていたと認められるのであり、事後的な判断に立って同被告人に過失があるということはできない。

6  そのほか、被告人乙に出火延焼の原因となる商品などを階段内に放置させない注意義務があったとは認められないこと、同被告人が火災発生の事実を全館に通報しなかったことを過失と認められないことは、第一審判決及び原判決が判示するとおりである。

そうすると、その余の点について判断するまでもなく、原判決が被告人乙に過失があるとして業務上過失致死傷罪の成立を認めたのは、法令の解釈適用を誤ったものというべきである。

四  被告人丙の過失の有無

1  公訴事実は、被告人丙は、大洋営繕部の課員及び店舗本館の防火管理者として、丁社長、取締役人事部長の被告人甲及び同社営繕部を統括していた常務取締役の戊の指揮監督を受けて、消防計画を作成し、右計画に基づく消火、通報及び避難の訓練を実施し、自動火災報知設備を設置し、店舗本館の増改築工事期間中同工事に伴い撤去された既設の非常階段に代わる避難階段を設置し、その他誘導灯、必要数の救助袋、避難はしごなどの避難設備を設置し、避難階段に出火延焼の原因となる商品などを放置させないようにすべき注意義務があるのに、これを怠った過失がある、としている。

2  第一審判決は、被告人丙は、店舗本館の防火管理者として選任届が提出されていたものであるが、防火管理者に適した地位にはなく、実質的にも防火管理業務の権限を与えられてその業務に従事していたともいえず、消防署との窓口的な役割を果たしていたにすぎないものであって、消防計画を作成し、これに基づく消火等の訓練を実施するなど公訴事実にいうような注意義務を負う立場にはなかった旨を判示し、同被告人に過失はないとした。

3  これに対し、原判決は、被告人丙は、店舗本館の防火管理者として、消防計画案とこれに基づく避難誘導等の訓練の実施に関するりん議書を起案し、これを丁社長らの決裁に回すことにより、消防計画を作成し、これに基づく避難誘導等の訓練を実施すべき注意義務があるのに、これを怠った過失により本件死傷の結果を招来した旨を判示し、業務上過失致死傷罪が成立するとした。

4 そこで検討するのに、原判決が被告人丙に過失があるとしたのも、是認することができない。

すなわち、被告人丙については、前記一の(5)のとおり、同被告人を店舗本館の防火管理者とする丁社長名義の選任届が昭和四七年一二月一五日付けで熊本市消防長あてに提出されていたものであるが、原判決の認定及び記録によれば、更に次の事実が認められる。

(1) 被告人丙は、昭和四五年八月に大洋に採用され、同年一一月中旬ころ以降、営繕部営繕課の課員として勤務し、主に建物の修理、維持及び管理に関する仕事をしていたものであるが、その指揮監督下にある従業員は一人もいなかった。(2) 大洋では、防火管理者であった営繕部長のAが同年八月に同社を退職した後も、後任の防火管理者が選任されないまま放置されていたことから、所轄消防署や熊本市消防局から防火管理者の選任及び解任の届出をするよう指摘を受けた。そこで、人事課長代理のCと人事部長の被告人甲が相談の上、元熊本市消防局次長兼総務課長で大洋の渉外部長であったDを防火管理者に選任すべく交渉したが、同人から断られたので、丁社長の指示により被告人丙を選任することとし、同被告人を店舗本館の防火管理者とする選任届が提出された。(3) 被告人丙は、右選任届が提出された直後ころに出席した防火管理者理事会で、消防法施行令の改正(昭和四七年政令第四一一号による改正)により防火管理者の社内的地位、権限に関する資格が厳しく定められることの説明を受け、被告人甲に対し自己が防火管理者にふさわしい社内的地位にないことを上申したが、何らの措置も採られなかった。(4) 被告人丙は、その後本件火災までの間、市役所建築指導課や所轄消防署の消防に関する検査の立会い、消防署から配付された印刷物の回覧や掲示、消火器の点検や消火剤の詰め替え、消防署との連絡や打合せなどの防火管理に関する業務をしていたが、そのほとんどは上司の営繕課長と相談し、あるいは被告人甲の指示を仰ぐなどしていたものであり、独自の判断ですることができたのは、消火器の点検や消火剤の詰め替え程度のことであった。

右の事実関係に基づき、被告人丙が店舗本館の防火管理者として消防計画を作成し、これに基づく避難誘導等の訓練を実施すべき注意義務を負っていたかどうかについて判断する。消防法施行令三条は、同法八条一項に定める防火管理者の資格として、所定の講習課程を修了したことなどのほか、「当該防火対象物において防火管理上必要な業務を適切に遂行することができる管理的又は監督的な地位にあるもの」という要件を定めているところ、右の管理的又は監督的な地位にあるものとは、その者が企業組織内において一般的に管理的又は監督的な地位にあるだけでなく、更に当該防火対象物における防火管理上必要な業務を適切に遂行することができる権限を有する地位にあるものをいう趣旨と解される。しかし、前記の事実関係に照らし、被告人丙がそのような地位にあったとは認められず、消防計画を作成し、これに基づく避難誘導等の訓練を実施するための具体的な権限を与えられていたとも認められない。

もっとも、防火管理者が企業組織内において消防法八条一項に定める防火管理業務をすべて自己の判断のみで実行することができる地位、権限を有することまでは必要でなく、必要があれば管理権原者の指示を求め(同法施行令四条一項参照)、あるいは組織内で関係を有する所管部門の協力を得るなどして業務を遂行することが消防法上予定されているものと考えられる。しかしながら、前記の事実関係に徴すると、被告人丙が消防計画の作成等の主要な防火管理業務を遂行するためには、丁社長や常務取締役らに対し、すべてそれらの者の職務権限の発動を求めるほかなかったと認められるのであり、このような地位にしかなかった同被告人に防火管理者としての責任を問うことはできない。

したがって、原判決が被告人丙について店舗本館の防火管理者として丁社長らにりん議を上げることにより消防計画を作成し、これに基づく避難誘導等の訓練を実施すべき注意義務があるとしたのは、誤りというべきである。

5  なお、被告人丙は、ともかくも丁社長により店舗本館の防火管理者として選任及び届出がされ、実際にも、前記認定のとおり、一定範囲の防火管理の業務に従事していたものであるので、なおその立場において尽くすべき注意義務があったかどうかについても検討する。

前記の事実関係から明らかなように、丁社長ら大洋の上層部の者は、被告人丙が防火管理者に適した地位、権限のないことを十分認識しながら、同被告人を防火管理者に選任し、さらに、同被告人から上申があった後も何らの措置を採ることなく放置していたものであるから、同被告人において、丁社長に対し自己に防火管理業務を遂行するのに必要な権限の委譲を求め、あるいは他に適切な地位、権限を有する者を防火管理者に選任するように進言するなどの注意義務はなかったというべきである。

また、被告人丙は、前記事実のとおり、防火管理者として選任及び届出がされてから本件火災までの間、消防に関する検査の立会い、消火器の点検、消火剤の詰め替え、消防署との連絡や打合せなどの業務を行っていたものであり、同被告人においてすることができる範囲の業務はこれを遂行していたものと認められるから、この点からみても、同被告人に注意義務違反はなかったというべきである。

6  そのほか、被告人丙に自動火災報知設備等の消防用設備を設置し、あるいは避難階段に商品を放置させないようにする注意義務があったとは認められないことは、原判決が判示するとおりである。

以上によれば、被告人丙には原判決が判示するような注意義務はなく、他に注意義務違反があったとも認められない。したがって、その余の点について判断するまでもなく、原判決が被告人丙に過失があるとして業務上過失致死傷罪の成立を認めたのは、法令の解釈適用を誤ったというべきである。

五  結論

以上のとおり、被告人三名について業務上過失致死傷罪の成立を認めた原判決には判決に影響を及ぼすべき法令違反があり、これを破棄しなけれが著しく正義に反するものと認められる。そして、本件については、既に第一、二審において必要と思われる審理は尽くされているので、当審において自判するのが相当である。

よって、刑訴法四一一条一号により原判決を破棄し、被告人三名をいずれも無罪とした第一審判決は相当であって、これを維持すべきものであり、検察官の各控訴は理由がないから、同法四一三条ただし書、四一四条、三九六条によりこれらを棄却することとし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大堀誠一 裁判官大内恒夫 裁判官四ツ谷巖 裁判官橋元四郎平 裁判官味村治)

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